品質と効率と循環

前回契約書について書きました。
契約に抵触しない様にする為には、どうしても手間がかかり、コストがかかり、過剰品質になってしまう。
「過剰品質」一見良さそうに思えるこの言葉。ですが、この言葉が我々の首を締めてると感じる同業の方は多いと思います。
(この辺も前書きました。(品質管理))

これに対応するには様々に工夫して、付いて行かざるを得ません。それでもユーザーは常に安い製品を求めています。
配達サービス至上主義が行き詰まりを見せる中、AMAZONの置き配やクレーム対応が支持されている事。圧倒的低コストの中国韓国にシェアが奪われ、その動きは今東南アジアに移り、その東南アジアの中でもベトナムからインドネシアへ移って来ている事。これら全て価格>品質と言う式に沿っていて、それを実現する為の効率>非効率と言う式も成り立っています。

この世界の動きに対して「性能、品質で勝負」を実現するのは、中々に難しい事です。
ユーザーは、「別に30年使えなくても良い。兎に角、事足りれば良いし、安ければ安い程良い。んでもって、壊れたらまた安いの買う」と言う図式ですよね。
30年使える物が10万だとして、4年しか保たない物が3万だとするとほぼ10年で逆転する訳です。
ですが、このスピードの早い時代。4年経ったらもっと効率の良い物が出来ている可能性が高い。良い物を長く使うと言う図式は現状では崩れていると言っても良いと思います。

一方で非効率こそ良い経営とする考え方もあります。
日本の経営方式はわざと非効率になっていると言う考えです。どう言う事か?要約すると「利益を社会に還元する」と言う事です。
一見無駄な仕事に見えるけど、大きい輪の中では成り立つと言った考えでしょうか?(実は私自身、掴みかねています^^;;)
無駄とも思える検査や品質管理体制を構築する。効率は悪くなるけど当然不良は減るし品質は上がる。品質維持の為の雇用も生まれる。この輪の中では一人が多くを得る事は難しいので格差も小さくなるし、それが全体に広がれば皆幸せと言った所でしょか?(簡単すぎるか)

適者生存が自然の摂理だとすると、効率的な経営こそ一番の正義とも考えられますが、適者の他に一見不適に見える適者が居るからこその適者であるのも自然の摂理ですよね。
西洋的な「効率こそ全て」とする考えと、社会を広く見て循環させる様な方法こそが良いとする東洋的(日本的)考え。
まぁ何とも取り留めない話しになっちゃいましたが、価格重視思想は今後も続きそうです。
アメリカから日本に移り、中韓に移り、それが現在東南アジアに移り、今度はインドに移り、最終的にアフリカに移る事になるのでしょうか?世界を一回りしてその次はどうなるのでしょう?仕事を取られた国は日本と同じ様な「性能、品質で勝負」と言う事になるんでしょうか?
今のアメリカ、日本、韓国、中国辺りを見るとどうでしょうね?


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